中学生を指導していて、「課題ができないから」「もう、期日を過ぎたから」持って行きませんという場面に出くわすことがあります。
よえーな。おい!
と言って、学びを志す子に育って欲しくて指導しますが、
大学まで付いているエスカレーター式の学校で高校へ進学できるかどうかがかかっているのに、こうした選択をしようとした生徒さんとも何度も話し、彼は今前向きに「完璧にできる努力はする」
その上で、できていないことは「すみませんでした。ここまでしかできていませんが、提出します」ということができるようになりました。
僕はよく「負けを認めろ。負けっぷりがいいことも次勝つための重要な素養の一つだ」と言います。(将棋でも、「参りました」と言うそうですが、潔く負けを認め、それでいて「次はやってやる」という気概がなければ成長はないと感じます)
彼は、まだまだ完璧ではないですが、
(出さないという)逃げることはしなくなりましたし、
適当でいいという逃げもしなくなりました。
精一杯頑張って、できたところまでで審判を仰ぐという潔さがないとどうなるのか、
ここ最近、仲家先生と「先生に教えてもらって形だけ宿題を仕上げようとする子がいると気になるよね」という話しをしていたのを思い出しました。
今日の話です。
「先生、宿題のわからないところがあるんですが、たくさん問題がありすぎてどうしましょう」とやってきた生徒がいました。
「おう!精一杯今いる先生たちで教えてあげて、頑張ったらいいと思うけど、それでも間に合わない分は、授業の中で担当の先生に質問したらいいやん」と話しました。
「いえ、宿題なんで明日までに出来上がっていないとダメなんです。絶対に今日教えて欲しいんですけど」
気持ちはわかります。
精一杯教えますし、一緒に頑張ります。
しかし、そこまでに時間配分できなかったことも改善すべきですし、
もしかしたら、「今日は理系の先生が少ないからあんまり対応できへんかもしれない」という日も無料の補講なのであるかもしれません。
今日は先生がいるから教えられるけど、
じゃあ、宿題が出来上がらない状況に追い込まれたら、「塾休む」とか「学校休む」とかになるのではないかとさえ思うほど、
宿題仕上げないと先生に注意を受けると思っていました。
真面目さは大切なことですし、
宿題を仕上げることも大切なことです。全力を尽くすべきですし、いい加減にしていい問題ではありません。
しかし、
宿題を仕上げることが目的になってしまうと、「答えをうつす」「先生に聞きまくって、理解の伴わない形だけの仕上がりとなる」などの問題も出ます。そして、
全く力がつかず、結果が出ません。
「今日精一杯頑張って、精一杯の理解とできるを積み上げよう。その上で、
先生すみませんでした。ここまでしかできていません。
教えてくださいって担当の先生に言ってごらん。
それを教えないだの、宿題やってきてないからお前は!だのいう先生がいたら、僕が「お前は教師失格じゃ!」て言うたる。
勇気を持って、先生ここまでやりましたって言ってごらん」と言って指導しました。
頑張ってくれるかなぁ。
頑張って欲しいなあ。
プライドだけ高くて、できないことを隠したりせず、できないことを「できません。すみません。教えてください」と言う潔さが身につけば、みんな逆に教えてくれて、あっという間に能力が伸びると思います。
仲家先生も言ってました。
「●●君はいいねぇ。わからないことは、すぐ質問するんよ。それも、何でもかんでも聞くんじゃないよ。正にそこやろうなという質問をする。
一方学力的に低い子は、持っておいで、見てあげると言っても「ダイジョーブです」と言って持ってこないんよね。もちろん教えていくけどね」
そうなんです。
負けを認めるって、勇気がいることなんですが、ものすごく大切なことで、負けっぷりがいいと皆が助けてくれたり教えてくれたりします。
「先生わかりません。教えてください」そして、「宿題ここまでしかできなかったんですが、わからないこの問題教えてください」と言ってみよう。
逃げずに、頑張ろうね。