僕は字が汚いです。
対照的に数学(算数)・理科担当の結城先生は、むっちゃくちゃ字が綺麗です。
立体図形の美しさも、「ここがちょっと気になるな」と書き直してはる姿を見ますが、僕は全く気にならないレベルです。しかし結城先生の美的センスからいうと許せないんだと思います。
そしてそんな僕も、汚い字ではなく、
雑な字を書く子には厳しく指導します。
雑なのは、勉強に影響します。
学志館で働く講師なら一度は聞かされる村山の理論があります。
「自分の名前を(元々平仮名じゃないのに)平仮名で書く子は学力が低い!」理論。
もちろん全てではないですが、
自分の名前を平仮名で書くぐらい「面倒くさがりで横着者」が、コツコツした努力の継続が必要とされる面倒な勉強を頑張るわけがないのではないか?
というのが、僕がこの理論を唱える理由です。
名前は親からもらった大切なものです。それを雑に扱う行動も気になります。
そして、ちゃんと書こうとして字が汚いのと、そもそもちゃんと書こうと思っていない雑なのとは違うと僕は思っていますし、
学校の先生が評価する時の印象も違うと思うんです。(内申点が低い)
今日、とんでもなく雑な字の生徒を注意しました。
彼は、才能はあるのに、その30%程度しか努力せず(と村山は思っています)、そして成績が伸び悩んでいます。
頑張ったら、もっと上の景色が観れるのに、横着と雑さが邪魔をして才能をダメダメにしているような状態がもったい。本当に、才能よりも、正しい習慣の方がずっと大切であると感じます。
そんな彼を救うには、そうだと気付いていない「小さいけれど大切なこと」を口やかましく指導するだけです。
先日長男にも言いました。
テストの素点よりも最終の総合評価が低い=学習態度や宿題の提出率が最悪だという評価の現れです。
「あのな侑輝、宿題を出さないことや、授業態度が真面目でないことを、誰が本気で怒鳴って正そうとしてくれた?」
誰もおらず見過ごされ、
それを本人はラッキー!見つからんかった!注意されなくて良かった!と思っているようですが、
にっこり笑って後ろから刺されているようなものです。
このままじゃあ、お前が大した男にはならないと思うのでお父さんは、むちゃくちゃ怒るぞ💢
と厳しく注意したのを思い出しました。(美咲校で、引きずり出される長男を見てしまった生徒さんもいるかな。あ、誤解しないでくださいね。生徒さんを引きずり出したりしませんし、ちゃんと厳しく注意するに留めます)
愛情がなければ放っておけばいいのです。その子がどうなろうと知ったことではないという考えでしょうか。
しかし、我が子のことがそうではないように、
僕の目の前でダメになっていくのがわかっている行動をとる人を、そのまま放置するのはできないなぁ。僕は、嫌われても「あなたのそこがダメなんだよ」と言ってしまう空気の読めない人間なんだと思います。頑張って、ズバズバ言います!(本当は僕も言いたくないんだけどなぁ。でも、言わないのは仕事じゃないですもんね)