昨日は、小5生の質問受けを頑張りました。
難しい中学受験の算数に挑戦しています。
もう一人は、漢字を100問以上覚えないといけないようです(学校の課題)。
教えていて生徒さんから感じるのは、
いい意味でのできるようになりたいではなく、「間違ったらどうしよう」など完璧ではないことに対する不安です。
「(先生に教えてもらったこの問題)答え合わせしてもらってもいいですか?」=塾の授業で先生に提出するので間違っていたら困るから正しいか確認したい。
教えていて、可哀想になってきて、
「間違っていいんやで。先生と一緒に解いたこの問題も、計算間違いがあったり、そもそもどこかに考え違いがあったら(授業担当の)先生からバツがつけられるやろ?でもね、それも勉強やし、またやり直し頑張ろうよ。それでいいんやで。完璧であることが大切なんじゃなくて、あーでもない、こーでもないと失敗を繰り返しながら、本番のテストまでにできるようになりたいよね」と話しました。(中学生など提出によって内申点に関わる場合は、完璧を目指さないとダメです)
完全でないと困るんで、確認してください。
教えてください。
その気持ちもわかりますし、そうした完璧を目指す心が必要だということもわかります。
しかし、
学びは、「恐怖心」や「義務感」からするものではありません。
できるようになって楽しい。
できなければ、それはなぜだろうと考え、また挑戦して「できるようにする」
それが楽しめないと、学ぶってことは、苦痛以外の何物でもないものに変わってしまいます。
「学んでいる人は輝いている」
僕は、そうした輝いている生徒を何人も見てきましたし、育ててきました(と思っています)。
「答え合わせしないから、このまま担当の先生にもっていってごらん。そしてもし間違っていたら先生もまた一緒に考えるから、どこで間違ったかを見つけ出して、できるようにしようよ」
僕は、そうして頑張ることが学ぶことだと思っています。でないと形だけ宿題が仕上がっても、力がつきません。本当に力のつく学びを志そうよ。間違えないことじゃなく、間違いから学ぶこと。頑張ろうね。