現代文のカリスマと呼ばれる、出口汪先生の研修です。
学志館、まなびぃ教室として、「出口先生の頭がよくなる漢字教室」でも、先生の著書を使用して国語力の養成に取り組んでいます。
・クリティカルシンキングと呼ばれる、様々な方面から物事を見る、考える方法。
・2020年、2024年大学入試改定問題について。
・様々な私立中学校や高校で導入されている「論理的思考」について。
先生の話の中で、必ず出てくるのが「論理的思考」です。
国語を「感覚」や「なんとなく」解く、解けるという考え方ではなく、言語である限りは、必ず「論理的に説明できなければならない」という考え方です。
こうした、従来のただ「覚えるだけ」「計算ができるだけ」の勉強ではなく、
暗記などの基礎知識を活かして、「論理的に物事を組み立てる。考える。表現する」という方法論が、21世紀型の学力と言われる、今後の大学入試で問われる形に改革が進んでいます。
先生のおっしゃられる、「論理的思考」を言いあらわす、最も面白くてわかりやすい例が下記でした。
「彼は、このチームにとっては・・・・・・・・な人だ」
この「・・・・・・・・」の部分に、
①「大切な」
②「必要な」
のどちらを入れる事が、より正しいか?(文の前後があれば解答が変わるかもしれないが、そうではなく、この質問だけで考えるとするとどうか?)
先生のおっしゃられた話を聴くと、確かにと思えました。
論理的に考えていない人は、「大切な」でも「必要な」でもどちらでも入るから、どっちでもいいのではないか?或いは、どっちが入るかわからないと言います。確かに、中学生ぐらいなら、「先生!どっちでも入るんでいいんじゃないですか」と言いそうですね。
でも、漢字の成り立ち。
そして、「論理的に、説明ができる」という観点から言えば、
「必要な」の要という字は「かなめ」という意味です。
必ず、要(かなめ=物事の中心、大切な部分)となる人であるという意味の方が、より「彼はこのチームにとって」という文章においては、適切である。
確かに納得できます。
解答である限りは、「その通り!」と思える理由が必要です。
生徒から、「別にどっちでもいいんじゃないですか?」と言われ、区別がつかないようでは、解答として認められないという事です。
こうした考え方で、論理的に国語を読み解いたり、漢字をただ「覚える」のではなく、意味を含めて覚えたり、使えるようにしなければ、単なる「つめこみ」と言われる、20世紀型の古い教育だというのが、先生の考え方です。
我々学志館も、同様に考えています。
丸暗記をしてもすぐに忘れます。価値のある知識とは、「定着している」事でしょうし、使いこなせるレベルにあるという事です。
その場だけ通過してできればいいという「作業」にすべきではないと考えます。
中身のある勉強をしようよ。それはきっと、知識が深まれば深まるほど、更に学びたくなる、本当の学びだと思いますし、学志館も、本物の学びを求め、日々指導にあたっております。