学志館に通う招提北の中3生という事ではありません。
中学校全体で正解者が0という難問が今回の中間テストに出たそうです。
そのことを聞いた野川が、「じゃあ、そんな難問を(数学担当の)結城先生に教えてもらおう!」と言ったところ、全員が興味をもって是非!となったそうです。
野川は、「彼ら凄いですよ。誰一人「いや、いいっす」と言うことなく、やり直しをしてくれました。きっと受験生として、学志館の言っている「できないことを、そのままにするな。できるようになろう」を、頑張ってくれるようになったんだと思います。うれしいです」と言っていました。
できなかった問題を、「教えるよ」と言った時に、
「いや、いいっす」という生徒さんが実際にいます。
もちろん「そんなこと言うなって。教えてもらおう!」と言って引っ張っていきますが、
それは考えようによっては、
やる気のない人間に無理やり「教えたる」と言っているようなものだとも言えます。
「馬を水飲み場に連れて行くことはできても、水を無理やり飲ますことはできない」
の言葉通り、本人にその気がない場合、「難問」というレベルでは太刀打ちできるはずもありません。
上位数%でしのぎを削るレベルでは、そもそも「やってやる」という気持ちがない者が勝負できる場所ではないといえます。
でも、だからこそです。
そんな場所に自らをおいて、「いや、いいっす(やりたくないです)」と言わず、「こんな問題を解いてみたい」「どうやって解くんだろう」という心が芽生えてくれたことが、最高にうれしいです。受験生らしくなってきたね。
そして僕は、「いや、いいっす」と言っている生徒に、「そんなこと言うなって。この一問が未来を変える一問になるかもしれんで。教えてもらえって」と言って、学ぶ機会を与えるのが塾の使命だと思っています。教えてもらった上で「こんな難問考えたくもない」と思うのか、「そんな風に考えたら解けるのか」となるのかは、先生次第かもしれないですし、本人次第です。それこそ、他人の未来を僕が決められるわけではありません。でも、教えたら「未来が変わるかもしれない」と思っています。
僕は、そんな未来を変えた子供たちをたくさん見てきました。
だから、「そうか、やらんでも別にいいんちゃう」とは決して言わないですし、「やってみよう」と言います。「別にいいんとちゃう」「いや、いいっす」と言っていた人が未来を変えたんじゃなくて、「やろうよ」「やります!」と言った人が変えてきたのだと信じていますし、学志館の生徒には「未来を描ける子になって欲しい」と願っています。すげーな中3男子。死んだような目で挑戦することを忘れた大人なんかよりも、よっぽど君らの方が輝いてるよ。
次は、このレベルの問題を自分の力で解けるようになろうぜ。(結城先生も喜んでいたよ)