学校の先生も、塾の先生も、
僕が言うのは何ですが、「えらそう」と学生の頃思っていました。
僕が学校の先生の資格を取ろうと思ったのは、父から、学生時代に何か資格を取っておけと言われ、入った経営学部でとれる資格が高校の商業科の先生の資格であったことから、「先生でも目指してみるか」という、最初は軽い気持ちでした。
そこで、衝撃の授業に出会います。
もの凄いおじいちゃん先生で、まさに仙人のように世の中のことは何でも知っているという様子の大学教授。
その先生が、
「僕が教えられることを君たちに伝えたいと思っているけど、僕が知らないこともたくさんあって、君たちのほうがずっと知っている分野や知識もある。先生だからって偉いとか尊敬すべき存在とかじゃなく、学ぶっていうことを、共に頑張っていきましょう」とおっしゃられたのを、今でも鮮明に覚えています。
ああ。。。こんな先生もいるんだ。
何度か今までも書きましたが、社会に出る人の大部分が経験する会社勤めしたことがないくせに「お前ら社会に出たらな」と偉そうな先生に多く出会ってきた僕からすると、凄いな。。。と感動し、学校の先生を目指し、同学部の他学科の経済学部の授業も履修したら社会科の先生の資格も取れるということを知り、大学4回生で「ゼミ1(卒業単位はすべて取ったうえで、4回生で必ず取らないといけないゼミの単位だけが残っている状態)」であるにもかかわらず、週5日大学に通い勉強していました。(ということで、僕は高校の商業科と、中高の社会科の先生の資格を持っています)
「村山さん、相当アホなんですね」
サッカー部の後輩から言われたのを覚えていますが、いやいや、俺、ゼミ1だから。将来のために、頑張ってるねん!と言っていたのを覚えています。
その教授から教わったことがもう一つあります。
「元気よく挨拶と返事をすること」
それだけで、みんなが味方してくれるようになるよ。
決して、強制するわけでもなく(注意されたり、強制されていたら、僕の性格だと全く言うことを聞いていなかったと思います)、ことあるごとに、「小さなことだけど、ものすごく大切なこと」としてお話してくださったのを覚えています。
今の子供たちを、塾で見ていても思います。
成績のいい子で返事がダメな子は、まあ見ない。
返事だけよくて、成績の悪い子はいるけど、愛嬌があって、頑張っているので、何とかしてあげたくて応援しちゃいます。
塾の先生の中にも、元気のいい「はい」と、挨拶ができない人には、本当に苦労します。それって、研修することなんだろうか????でも本人はそれが、大切なことだとも思っていないようだし、変わらない。
でも、そこから変えていかないと、「未来が変わらない」。
僕が教わったことを、次は僕がみんなに伝えていきますね。未来を変え切らない人は、「過去の自分にとらわれている」だから変化できない。勉強で結果が出ないのも、仕事で結果が出ないのも、過去の自分のやり方にこだわって、「はい!」とすがすがしく返事して頑張れないからです。
「はい」は、自分が変わる挑戦を意味する言葉。
挨拶は、その日の機嫌や、何かあったからするものでも、しなくてもいいものではなく、常に元気よく行うべきもの。
「それがどうしたの?」
という人が多いですが、その度に、「そんな小さなことに何の意味があるんですか?」と言ってきた人に、「そんな小さな事もできない君に、何ができるんですか?」と問われたという話を思い出します。=できてから言え!が、僕の父、村山実の口癖です。小さなことができない人は、大きなことを成しえない。
僕も、小さなことを大切にし、これからも頑張って、生徒指導に邁進します。
今日もたくさんの学びを得ました。ありがとうございました。
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