最近続いております面談で、保護者様から、結果を出す勉強法を、今一度、子供に話してあげてほしい(気合い注入)とお話いただく機会が多いです。
こんな時、僕が必ずしている話で、生徒さん達は、今一度、目に見えない自分というライバルを意識する様になります。
「どうやったら結果が出るかって?
そのためにはまず、どうやったら結果が出るか?を考えてみようか。
資格試験に合格する時の様に、何点以上をとったら合格っていう場合は、自分との戦いでいいと思うんだ。ライバルが何点とろうが関係なく、合格ラインを1点でも越えれば全員合格だからね。
でも、
合格者数が決まっている入試なんかは、そうはいかないよね。
ライバルが10頑張っているのに、今の自分の努力が5だったら絶対に勝てない。
今までの自分の努力が1に対して、僕は5倍も頑張っているのに!といくら言っても結果は出ないんだ。
じゃあ、仮に今、自分と全く同じライバルがいたと想像してみようか。クローンで自分の分身の方がいいね。
君と同じ様に、
塾の授業は一生懸命聞いてノートもとっているし、問題も解いた。
わからない問題も質問して理解しようともした。
暗記も頑張ったし、
過去問題のやり込みも頑張った。
授業外にも塾へ来て頑張ったし、家でも頑張って2時間以上更に勉強している。
それでも、今、偏差値が変わっていなかったり、結果が出ていないんだとしたら、
それってライバルも、同じ様に授業も出ているし、宿題もしてる。毎日の様に塾へ行って頑張っているからじゃないかな?
じゃあ、そんなライバルに差をつける行動ってなんだと思う?
(ここでみんな色々な案を考えて答えてくれます)
そうやね。
そうした意識で、あと一歩頑張れるかだと思うし、
もしかしたら、勉強に疲れて、「もう寝よう」と思っていつもそうしているのに、寝る前に「もう一度忘れていないか確認しよう」という思いと行動かもしれないね。
テレビも見たいと思うし、見ていいと思うんだ。でも、もし勝とうと思うんなら、隙間時間のCM中にパパって5個覚えてしまう事かもしれないね。
そして、僕は、前向きに頑張っていたり、楽しんでいる人に、嫌々やっている人が勝てるわけがないと思うんだ。
だから、同じやるんなら、
自分のために、その時を精一杯やってみようよ。
それも、根性論の様な我慢や、忍耐じゃなくて、本来の「できなかったことをできるようになって嬉しい!」という気持ちで学びと向き合ってほしいと思っています。
結果を出した子は、学びを楽しんでいたし、
やらされている学びではなく、自分のために頑張っていたよ。
最後の合格するかどうかは、まさに神のみぞ知るだけど、
きっと、まだ、
全く同じ努力をしているライバルに勝つ方法が、昨日の君に勝つ方法があると思うんだ。
例えば。。。」
と言って、こんな考え方や、こんな方法で勉強できないかな?
こんな意識で取り組んだら勝てるんじゃないかな?と話します。
(万人に通用するワンパターンの)正解なんてありません。
その子ごとに、頑張ろうと思えるスイッチの入り具合は違いますし、
それを探り探り、僕は、話していきます。
受験が近づいてきましたね。
そして、「ここでいいや」と思ったら、成績は下がるだけです。
受験校がどうなるのか、
結果がどうなるのかはもちろん大切な事だけど、じゃあ「結果が今出ていないから諦めるのか?(前日、いや、当日入試直前まで頑張ろうぜ)」
(なんでも頑張ればいいという訳ではないので、本当に厳しい状況ならば受験校の変更を考えないといけない場合もありますし、直前まで悩んで、より受かりそうな受験校を決めたいのならダブル出願(悩んでいる2校に出願しておく事)などの方法も取れます。何はともあれ、最後の最後まで、最善を尽くす事です)
「じゃあ今、結果が出ているからって、受かった気でいるのか?(受験はそんなに甘くねーぞ。そんな思いだと足元すくわれるぞ)」
と僕は思っていますし、それを子供達に伝えて、真剣勝負に備えます。
塾に通う意味(塾で教える意味)。
それは、一人での戦いでなく、僕たちも一緒に、子供達と戦う事です。
決して、先生自身が直接戦ってあげることはできないけど、頑張って頑張って努力した我が子の様な生徒を、人生をかけた戦いに送り出し、できる事なら勝ってもらいたいと共に戦う事です。
勝つのが一番いいですが、
その次にいいのは、全力でやるだけのことをやって不合格のほうが良い。
最悪なのは、負けても(不合格でも)なんとも思わないような努力しかできなかった事だ。
勝って泣いてほしい。
負けても泣いてほしい。
ヘラヘラ笑う様な、中途半端な戦いだけはして欲しくないと思って、ここから最後の追い込みに入ります。よろしくお願いいたします。