先日、授業に身が入っていない中学受験コースの女子生徒さんに注意をしました。
それは、
説明したところなのに真剣に聞いていないため、どこに書いてあるのかわからず、「先生、わかりません」となりました。
教えるのは良いですし、何度やってもできない事はあるので、「できないこと」をせめたりしません。
「でもね、今のままの真剣みのない態度だと、もったいないと思うんだ。君はやってできないなんてことはないって見ていてわかるよ。だからこそ厳しく言うね。
その場で覚えようと頑張ってみる事。
真剣にその時、その時を頑張ってみる事。出来ない事をせめたりしないし、何度でも教えてあげる。でもね、”できるようになりたい”っていう気持ちがなければ、結果は出ないと思う。
実はどうかな?
自分はアホやし、やってもできないって思っていない?
友達からもそう思われてて、別にいーやとか思っていない?
(実はこの生徒さんのお姉ちゃんが学志館卒業生で、ものすごくよくできる方だっただけに、本人がつらそうにしていることが気になっていました)
先生が何度でも教えてあげるし、”よしやってやる””できなくても頑張ってみる”そして”できるようになりたい”って思ってくれさえすれば、後は先生が何とかするよ。君はできるようになるよ」
無言が続き、そして泣き出してしまいました。
そして、ボロボロ泣きながら、
「私でもできるようになる?」と小さな声で言ってくれました。
辛かったんだと思います。そして、投げやりな態度に見えても、やはりできるようになりたい。お父さんお母さんに誉められたい。そして、できたらうれしいのだと思います。
「できるまで、何度も教えるし、一緒に頑張ろう」
要領が悪かったり、暗記力が伴っていなかったり、スピードが無かったり。しかし、そんなことを嘆いていても始まりませんし、投げやりになって諦めたらそこで終わりです。そして学ぶことって、本来「できるようになって楽しい」「もっとできるようになりたい」でなければいけないと僕は思っています。
そして、そのためには、
楽して、楽しい事だけをやるんじゃなくて、ちょっとしんどそうで、今の自分には無理だと思えることに挑戦してできるようにする。そんな覚悟も必要だと思っています。
厳しい事を言ったけど、そこで「やっぱりできるようになりたい」という言葉が聞きたくて、生徒さんと対峙しました。
もしかしたら、「もういいし!別に勉強なんてできなくても、他で頑張って仕事するし!」と言われてしまったら、塾へ来る意味も、学習する意味もなくなってしまいます。
それでも僕は、こうしたやり取りを生徒としながら、
やはり、「できるようになったらうれしい」「できるようになってうれしい」「もっとできるようになりたい」と感じてもらいたいと思っています。
それは、未来を変える行動だと思いますし、将来きっと必要になることです。そんな挑戦ができる子に育って欲しいと思っています。頑張ろうね。そして僕自身が言っておきながらなんですが、「他人からの”君はやったらできる”は、僕が生徒ならば聞きたくないセリフですが、自分自身が思う”僕(私)やったらできる”という根拠のない自信はものすごく大切で、必要な物だと思っています」
一歩前に踏み出せたね。