中学受験小6生への指導がすべて終わり、19時ごろ、遅くとも20時半には全員が、明日の入試のため帰宅しました。
明日以降、今まで毎日のように長時間勉強していた彼ら彼女らを見かけなくなった時の寂しさといったらないのですが、
僕は、この
「明日、持てる力を全て出し切ろうね」
という言葉を言う時が、一番寂しくなります。
というのも、
前に勤めていた大手塾での「入試当日校門のところで激励!」というのを、僕は一度も行ったことがありません。
いえ、当時、会社に強制はされませんでしたが、各校の校長は、こぞって激励に行く準備をしていました。
でも僕は、どうしてもあの入試当日に塾が横断幕を掲げ、
校門のところや、体育館で大声をあげて声援するのが、好きではないのです。
迷惑だなぁ。
塾の宣伝以外に何か意味があるのだろうか。
と思っています。
というのも、塾長(校長)の体は一つなので、どんなに頑張っても、条件が良くて2、3校。普通なら1校の応援しか行けません。
もし僕に大好きな、尊敬する先生がいて、
その先生が、違う学校の違う友達の方の応援に行っていた。。。。
なんて聞いたら、
どうにも悲しい以外の何ものでもありません。
あまり知らない先生や、
たいして大切な時間を共有したわけでもない人が、「頑張れ!」と応援に来てくれたところで、
ちょっと悲しくなるだけです。
公平にできないことは、やらない。
同じ受験生で、同じかわいい塾生なのに、
時間の問題や、受験する人数の問題や受験校によって差がつくなんて、
塾の都合以外に理由がないと僕は思っています。
なので塾業界で20年以上になりますが、
一度も当日の応援に行かず、
塾がする仕事は前日まで。
当日は、本人と保護者で戦地に赴いていただきたい。
そのためにも、
前日までに、全力を出しきろうね!と激励します。
みんなでとか言っている、
あるいは言ってはいないけど、
数で押し切ろうとする敵に勝ってほしいなぁ。
受験は孤独な戦いだ。
孤高に頑張ってほしい。そして勝ってほしい。
その挑戦の時に、子供の横にいるのは塾の先生じゃない。
お父さん、お母さんであるべきだ。
明日、僕も長男の受験の付き添いです。息子と一緒に戦ってきます。