あいにくの雨でしたね。
立命館宇治に来ると、僕の方がテンションが上がってしまいます。
外国人の先生方がたむろする受け付けがあったり、
もと立宇治生が先生として担任を受け持つことになったり、
何か、良い縁というのでしょうか、
面白いやる気を感じるんです。
僕も、本校に戻って来て約2ヶ月になりますが、
以前と全く違う、学志館生のやる気を感じます。(かなり僕がたきつけているんですが、それに生徒さんが徐々に応えてくれていると感じます)
それは、元生徒の大西先生や、またまた、元生の大西先生の妹さんまで学志館を手伝いに来てくれているなど、同じく何か不思議な縁を感じます。
明日、野川先生が復帰する予定ですが、
何かお手伝いできることがあればと大西姉妹が頑張ってくれました。
中3生の質問フォローで2名の先生が同時に教室に入った時も福嶋先生と山内先生という、これまた学志館の元生であり、後輩たちのために、指導したいという熱意で手伝ってくれています。
村山やベテランの先生たちからは、受験のテクニックや厳しさを指導されながら、
先輩である元塾生の若い先生たちに質問をガンガンして、現塾生が頑張っています。きっと元生の山本先生や大西先生などの女性の先生に癒しを求めながら、「でも、厳しくされないとつい逃げてしまう」と生徒たちも自分の弱さをわかっているのだと思います。
立命館宇治に通う中1の長男の担任が新任の先生なのですが、北海道にある立命館からの赴任だそうです。
立命館宇治では新任といってもさすが5年のキャリアがあります。
「厳しさの中にも優しさを、
優しさの中にも、強い情熱でいいクラスにしたい」と語られていましたが、
僕は先生を判断するときに、必ず2つ(以上)のことを目標としているか見ています。
経験が浅いと、一つのことしかできません。
勉強が苦手な生徒も同様で、あれもこれもと手を出そうとするのですが、結局一つのことがやり切れません。
先生業でいうと、
優しいだけではダメで、優しさと同時に厳しさを持ち合わせていないと教室がざわざわ集中できない場になります。
一方厳しさは必要ですが、
厳しいだけだと殺伐とし、質問がしづらくなります。
父親のように、厳しくもあり優しくもあることが求められ、
母親のように優しくもあるけど、キッチリとしたコツコツした努力を課すことも必要であるといえます。
ああ、この先生は、若いけど、
厳しくもあり、優しくもある、本当の先生を目指そうとしている。
学志館の先生たちにも、研修で話します。
優しいだけの、
楽しいだけの、
厳しいだけの、
そして、ただ授業するだけの先生になっちゃぁダメだよ。
技術で子供をほーっと言わせるか、
熱意で子供をその気にさせるか、
優しさで心の拠り所になるか、
厳しさでピリッとしめて勉強させるのか、
沢山の先生ごとの個性がありますが、
一つは最低限の仕事。
二つ以上をこなせて、プロの仕事となります。
優しいだけの先生は舐められて教室の統制が取れません。
厳しいだけの先生は、成績は上がるかもしれませんが、きっとほとんど誰もついてこないでしょう。
熱意だけでも、暑苦しい、うざいと感じる生徒はいます。
先生業は5者たれという言葉があるのですが、
学者であれ=高い技術を要すること。
役者であれ=普段の素の自分とは違う、教育者たる役を演じろ。
易者であれ=未来を見通し、予想し、導く人であれ。
芸者であれ=笑わせたり、別の一面で魅了せよ。
医者であれ=傷ついた心や体を治す医者のように、子供達をケアすこと。
が求められているという例えです。
5者たる人は、教室長や塾長であるべきですが、せめて2面性(以上)がないと魅力的な人であるとは、僕は思えません。
真面目だけが取り柄。
面白くないですね。きっと子供達も面白くないでしょう。
明るいけど、明るいだけで中身が伴っていないのなら信じてついてくことができません。
厳しいだけで、常に正しいんだけども、どうもついていけない。。。。
も何か違うと思うんです。
魅力的な人は、2面性(2面以上の特性を)持ち合わせていると思います。
僕も厳しく、そして、村山先生と話していたり、授業を受けているとできそうな気がするんです!ありがとうございます!と言っていただける先生となれるよう、さらに精進してまいります。