なかなか進んでいない村山の執筆活動(学志館初の本の出版へ向けて)ですが、
その中で、「学びを結果に変えてきた」生徒たちに共通する学習姿勢の一つが、「やった学習が見える」という事です。
学習量を調べようとすると、「形だけやった風にする」「答えをうつしただけでできた事にする」、或いは、「覚えている漢字を50回も100回も書く」ような無駄な事をしたり、ひどい子になると、「漢字を分解して、部首ばかりを20回だーッと書いて、残りの部分を同じく20回だーッと書く」など、
できるようにすることが目的なのではなく、仕上げる事、ただ量をこなすことが目的になる子が現れます。(結果が出ません)
しかしです。
そうした、間違った学習を「良しとしない」事を教えるためにも、学習量を見える化し、チェックします。
答えをうつしたかどうかなんて、授業を指導している講師がみたら、「この子が現段階で、この問題がすらりと解けるのはちょっと疑問が残る=注意深く、本当にできる様になったのか確認しよう」となります。
単に答えだけを書いていたり、
理数系であれば、途中式がないとダメ!とするなど、本当の学力アップに努めます。
見ると本当によくわかります。
「あ。。。この子は本質を理解していない」
「ここの理解が乏しいから、できないんだ(だからこう指導しよう)」など、見えることによる利点は上げればきりがありません。
そして、僕は学習の結果が出ない理由の第一位は、「効率の良い学習ができていない」とか、「応用問題を解いていないから」ではなく、
「そもそも、やっていないから」
という子が圧倒的に多いと感じています。
「いや、やってますって」
「こんなに頑張っているんっすよ」という生徒さんの学習量を見せてもらうと、
目標としている点数や偏差値に及ばない量しかこなしていない場合が多いです。
自分がやった「頑張った」は、もちろん評価されるべきですし、塾としても評価していきます。
しかし、英検のように、ある一定のスコアを取れば全員が合格となる資格試験ではなく、入試は「合格者数」が決まっているテストです。
それは、自らの頑張っただけでは、どうしようもない世界であり、必ず他者との比較の上に合格が決まるシステムだと言えます。そして自己満足の頑張ったではなく、頑張りが可視化されていないと、子供達も頑張るモチベーションが保てなくなり、「いつまで頑張るん?」「どんなけ頑張らなあかんの?充分頑張っているし」になります。
久しく「学習量を重さではかる」をやっていませんでしたが、復活です。
そして、最高記録があったなぁ。
夏期講習の期間中で約3Kgのプリント学習をした生徒さんは、最終的に偏差値を20.6アップさせて、第一志望に合格していきました。
やったことは見える。
そして見たら、その中身がわかる。(より細かな指導をしてあげられますし、していきます)
この学習法は、コロナ対策にも有効です。
オンラインでの授業をしていると、「知識の伝達」は非常にスムーズで、オンラインの方が塾へ来る時間が必要なかったり、自宅で集中できたりで良いことづくめです。
しかし、こと「本当にできるようになったのか?」を調べるとなると、オンラインで確認するのは非常に難しいと言えます。
「わかるとできるは違う」
と言われるように、学習の本質は①理解(わかる)→②定着(できるようにする)です。このできるようにするまでが、なかなかできず、塾へ実際に来てもらった方が、圧倒的に早くチェックができますし、次の一手も打てます。
正しい努力を継続すれば、必ず結果は出始めます(早くて3か月後、普通は6ヶ月程度かかります)。頑張ろうね。