結果が出ず、心配な生徒さんに共通するのが、
・ぼーっとしている頻度が高い。
・面倒くさいと言う
・何かに燃えている様子がない。
勉強だけではなく、クラブや何か楽器の演奏などにはまっている様子もない。
ただただ、何かに一生懸命な様子が伺えない子は心配です。
いつの日か、一滴の水が岩を穿つことを信じて、話しかけ、関わろうとします。
そんな時僕は、父から言われた言葉を、生徒たちにも話します。
「雅之ええか。同じ時間を使うんなら、意味のあるものにせえ。それが何になるのかとか、どんな意味があるのとか、どうせとか言う前に、目の前のことを一生懸命やってみて、出来てから嫌やと言ってくれ」
とよく言われました。
なので、僕は、同じ時間を使うのなら、無駄にしたくない。何かを得たい。結果を残したいと常に思っているタイプです。
この考えが、徹底されすぎたのでしょう、
(短距離走は得意で)長距離走が大の苦手だったのですが、フルマラソンに挑戦し「もう2度と走らん」と言いながらも、走ってみたら見える景色がありました。
山登りなど大嫌いでしたが、ならば「日本一の富士山に登ろう」と決めて登りましたが、やはり「2度と登るか!」とその時は言いながらも、そこで見た景色が忘れられなくて長男を連れて行ってやりたいと思い、また登っていました。
高いところは実は苦手ですが、ならばと、50mのバンジージャンプに挑戦し、あんな怖い思いは2度とするものかと思っていたにも関わらず、先日長野に100mの日本一高いバンジージャンプがあると聞き、いっちょ行ってみたいと思っています。
雇われ塾講師だった時も、
ただぼーっと働くのではなく、「将来は独立しよう」と思って働いていたので、1日12時間以上のブラックな仕事も苦ではなかったですし、
大学卒業後、初めての会社で、26歳で九州支社長になれたのも、悪さして辞めさせられた支社長の椅子が空いており、社長が「誰かヤル奴おらんか?」と言ったのに、そっと前向きに手を上げたからなれただけでした。
支社長などというかっちょいい役職をもらい、26歳で40万円以上給料をもらって幸せかというと、当時の1ヶ月のお休みは2日しかないという超真っ黒な会社でした。
しかし、そのおかげで夢だった世界一周の資金が貯まりましたし、
その世界一周のおかげで、塾講師という職につけましたし、(およそ100名の募集で2名しか合格せず。その決め手を入社後「あんな長い世界一周の履歴書持って面接に来たのはお前だけだ」と言われて合格したことを知りました)
そのおかげで今の学志館があります。
何が言いたいかと言うと、
大した能力もないけれども、目の前のことに一生懸命取り組み、目標を持って「出来ないことをできるようにしたい」と思って努力したら、
この程度の面白い人生は生きられるよと思っていますし、
それは、きっと、
ぼーっと何もせずに部屋でゲームしてたり(すみません。今ではゲーマーという職業があるのも知っていますが、あまりにも食っていける可能性が低いため名前を挙げました)、
何かにチャレンジすることなく、得られるものではなかったと思うのです。
どうなるのか?など誰にもわかりません。
それが役に立つのか?など誰にもわかりません。
養老孟司さんが、「なぜ勉強するんですか?」という質問に対して「つまらんことを聞くな!じゃあなんで生きているんだ!」とおっしゃられたように、
ぼーっとしていて、何かが得られるとは僕は思えないのです(関西人特有の、せかせかした最悪の人生かもしれませんね。でも)。
僕は、子供たちにも、何かを得て欲しいし、「別に」や「そんな一生懸命やることが幸せなんですか?」などというような、定年間際の(逃げ切りを図ろうとする)おっさんのようなことを言って欲しくないですし、
かっこ悪いなぁ。
嫌だというのなら、逃げていないことを証明するために「出来てから嫌だよ言えよ」と思っています。
すみません。
逃げるが勝ちという言葉もあります。なんでも勝たなきゃいけのか?挑戦し続けなきゃならないのか?というのは、あまりにもしんどくて辛い話だと思います。なので、ゆっくり、じっくり進んでもいいと思いますが、
ぼーっとして死んだ魚の目のような状態が耐えられないのです。
ゆっくりじっくりでも、笑顔で、楽しそうならそれでいいです。
そうでないのが、どうにも気になります。受験勉強で疲れてきているかな?(明日また励まそう)。
目の前の事に一生懸命取り組む事。
それこそが、自分にできる事だと思います。
(中3の女の子で、むちゃくちゃ頑張っている子が何名もいます。大人しくて、闘志をむき出しにするタイプではないのですが、目の輝きが違います。こういう子が、きっと夢を叶えると信じています。いや、中3男子にもいますし、夏後に偏差値を下げてしまった子も、逆転を信じて無茶苦茶気合い入って頑張っています)
僕も頑張ります。