中学受験小4算数の授業でした。
問題文は長いのですが、実は答えが書いてあり、しっかりと問題文を読み、条件を整理すれば「誰でも解ける問題」でしたが、
「わからん」が続出しました。
中学生の社会科などでも、グラフの読み取りなどがこのような問題にあたります。
グラフを見て、書いてあることから、問題文の意味に沿った内容を見つけ出し、比較し、答えの形に合うように書くだけなので、ある意味、最初から答えは書かれている=でも、それを正しい形で答えられないという状態です。
(村山)「大丈夫。難しい、わからん、無理って言っているけど、落ち着いてもう一度問題文を読んでみようか、そして、①・・・②・・・と順を追って、書かれている通りに確認してみよう。難しそうに書いてあるけど、実は答えは書かれていて、なーんだ、そんな事なの?っていう問題だよ。頑張れ」
先生が、こうだよ、あーだよと解法を指導することももちろん、教えるという意味において大切ですが、
我々の仕事は、「自分の力でできるようにする」ことです。魚を釣ってあげるのではなく、親がいなくなっても、自分で魚を釣って生活できるように魚の釣り方を教え、子供をできるように育てることです。
先生という職業でいると、その辺りが曖昧になり、いつの間にか、
「こうやって解くんだぞ」(凄いだろで終わって、子供を解けるようにしていない)
になりがちです。こうした姿勢が続くと、いつの日か「(教えたのに)何でできない!」としかりつける大人になります。
できるように育てていない大人が悪いのです。
効率化のために解法を即答で答えてあげてもちろんいいのですが、そこで終わらず「その子自身の力で解けるように」という思いや、後の確認がないと、その場限りの形だけできた=すぐに忘れたり、少しでも形が変わると解けない状態(答えだけ書いて、宿題を提出するような力のつかない子供を育てること)になります。
「悪いのは子供ではない」これは、僕の、そして学志館の基本の理念です。
(教えてもらってばっかりで、自分で考えたり整理したりしよらん。だから、できないんよ)カエル先生より